株式会社沖縄ソフトウェアセンター 20周年記念誌

座談会 垣花GM 島尻副部長が15年ですね。私が14年で すね。 この二人が入社した時はFo21が立ち上がったば かりだったと思います。 司会 入社のきっかけや、動機はなんでしょうか。 垣花GM 私は入社する前は、プロ グラミングスクールに半 年間通っていました。 通常は勉強してその後 に就職先を探すという形 だと思いますが、その学 校は就職先を決めてから勉強するという方針でし た。その時にいくつかの会社に面接していただい ていて、そのうちの一社が当時のFo21でした。当 時、饒平名社長と松田部長、そして南郷相談役の 3名に面接していただいて、その時の会話の中で、 「県外からの仕事しかありませんよ、先に東京な どの県外に常駐し、客先で勉強し、業務を覚えて、 仕事を持って帰って沖縄で仕事をしますよ」とい う説明を受け、面白そうな仕事だなと思い入社す る決め手になりました。 島尻副部長 私の入社のきっかけは、 大学と大学院に合計11年 程通っていまして、長く情 報系の学科にいた知識を 生かせる場としてIT関係 の仕事を探していたとこ ろ、当時のFo21に出合いました。 当時の饒平名社長と松田部長と面接して入社に 至るのですが、県外から沖縄へ仕事を持って帰る という業務内容については実はあまり認識してお らず、実際に仕事し始めてすぐに東京へ常駐し、 上流工程をお客さまと一緒にやらせてもらって、 沖縄へ持ち帰ってまた続きをやる、ということを 何回か繰り返すうちに、沖縄に持ち帰るという部 分を意識し始めました。入社当時は会社の規模 が小さく従業員も少なくて、大きい仕事を持って 帰れなかったことがありましたが、だんだんメン バーも増えてきて、沖縄に仕事を持って帰るとい うことにやりがいを見出してきたと思っています。 印象に残った出来事 司会 ありがとうございます。 入社してから今までで印象に残っている案件 や、大変だったことについて聞かせてください。 例えば、オンサイトで一番印象に残ったことは ありますか。 島尻副部長 オンサイトで一番印象に残ったこと は、ホストをJAVAにマイグレーションするとい う案件です。半年ぐらいオンサイトで常駐してい ました。 そこで、お客さまからさまざまな開発のノウハ ウや指導を受けながら、私がJAVAに詳しい人間 だったので向こうのチームに開発に関して提案を し始めた案件でした。 一緒に行っていたメンバーのうちの1人が、私よ り1カ月早く帰って沖縄で2名ぐらいのチームで先行 して進めつつ、案件を持って帰ろうという流れの中 で見積もりを出しましたが、結果は、中国の子会 社に出しますということで受注できませんでした。 半年も常駐しながら受注できなかったというの 垣花 史人 GM 島尻 寛之 副部長 は失敗だったのですが、そのタイミングはOSCと してターニングポイントに近い状況でした。 この時期に並行してONDePが作られていて、 ONDePを作ったメンバーが私と一緒に常駐して いました。私はこの案件でCMMIやファンクショ ンポイント、オフショアなどいろいろな開発のや り方を学ぶことができました。当時のリーダーの 方が、「自分たちで全部ルール決めなさい」と言っ て、オフショアって結構大変だなあ、そこでニア ショアとの差別化ができるだろうな、と色々感じ ることができました。会社としては残念でしたが、 私にはすごく勉強になった案件でした。 垣花GM 島尻さんと14年ぐらい一緒にいますけ ど同じ案件に従事したことはほぼないと思いま す。どちらかがヘルプで入るということはありま したが。 島尻副部長 私が管理職でほとんど入らないで管 理した初めての案件も記憶に残っています。垣花 さんがオンサイトでノウハウを積んでチームとし て持って帰るということをしていました。 垣花GM この案件は大変でしたよ。 最初に大変だったのはお金の問題ですね。単価 が安すぎてかなりの赤字でした。さらにお客さま の要求が高くて休日もよく出社して夜も遅くまで やりました。 初回は大きな赤字を出しましたが、なんとか納 めることができました。1次請けが大手のグルー プ会社だったのですが、その会社からある程度信 頼を得て、2次請けを飛ばして直接声をかけても らうことがありました。 一番大変だったのは2回目の開発の時期ですね。 そこで信頼関係ができ、ある時、「遅れている ところをどうにか助けてくれないか」という話を いただきました。案件のスケジュールを見せても らったのですが、絶対無理な内容で、断ろうとし たのですが、社内で検討したところ「頼っても らっているのだからやろうよ、次にも繋がるし」 という話になり引き受けたのですが、工数がもの すごくオーバーして納期に全く間に合いません でした。 通常の開発でも3カ月ぐらいかかるところを1カ 月で納めてほしいという話になって、システム開 発部の他のメンバーに「これはもう絶対間に合わ ないので一緒に考えて下さい」と相談して、島尻 副部長や何人かリーダークラスの人と相談して、 会社として案件をやめるか、みんなに頑張っても らうか話をしました。結果、期間は延ばしてもら いつつ、みんなに頑張ってもらいました。もう二 度と経験したくないですね。プロジェクトルーム の24時間稼働が1カ月ぐらい続いていました。 島尻副部長 あの案件自体は結構うちの特徴が あって、失敗はしていますけど、システム開発部 だけではなくて、今の金融システム1部の方から もヘルプを出してもらいました。「会社一丸となっ て終わらせよう」と。そこはOSCの力を結集して 遂行することを感じたプロジェクトではあります。 その後、いろいろなプロジェクトの反省点など を踏まえて、契約を変えてやり方を改善するなど して最終的には安定することができた印象があり ます。 司会 この案件の経験があって契約などもしっか り結ぶようになったということですか。 102 103 20 第3章 今後の事業展望 資料編 ご挨拶・祝辞 第1章 年の歩み 第2章 各部・委員会・ BP紹介

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