株式会社沖縄ソフトウェアセンター 20周年記念誌

The 20-Year History of OSC History 【時代背景】 2007年末頃からアメリカを中心とする金融不 安、景気の減速、原油・原材料価格の高騰などか ら我が国の景気も緩やかながら弱まりを示してお り、首都圏を中心にITプロジェクトの中止や延 期が噂されていた。2008年9月に発生したアメリ カの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破 綻し、それを契機として広がった世界的な株価下 落、金融不安(危機)は世界経済を未曾有の経済危 機に陥れた。日本経済も同様に世界同時不況のあ おりを受けて企業収益の大幅な減少や期待成長率 の低下によって設備投資が減少した。特にIT投 資は緊急性を要せず先送りが可能なものであった が、その中でもソフトウェアへのシステム投資は 激減した。その後、2011年頃までは緩やかに回復 したが、中国などの廉価なオフショア先へプログ ラム開発が流れていった。ソフトウェア業界では アプリケーション系システムの投資が縮減した が、家電や自動車などの組込系ソフトウェア開発 のニーズが高く業界は組込系プログラム開発と検 証事業に技術者をシフトしつつあった。しかし、 リーマンショックの影響から要員派遣を主とする IT事業者は派遣先から戻され、世間では「派遣 切り」が流行語となり自社社員の戻る席も無く自 宅待機や政府からの支援で技術者の再教育を進め ていた。結果、IT技術者の離職や職種替えなど の業界離れも多数発生した。 【営業活動】 (株)沖縄ソフトウェアセンターに商号変更前後 の営業は惨憺たるものであった。変更前の4月に は建設関連プロジェクトの理由無き中断や予定プ ロジェクトの延期、中止から始まり3カ月ごとの 契約更新だったために6月末と9月末には派遣技術 者の派遣終了。12月末にも派遣終了と、リーマン ショックの影響で仕事がゼロで売上が全く立たな い状況であった。2009年1月には、東京に1カ月程 度滞在して沖縄県の東京事務所とタイアップしな がら企業訪問やホームページをたよりに飛び込み 営業など約100社以上を訪問したものの仕事の依 頼は皆無であった。そのような中でも「IT立県 沖縄」を目指して沖縄県は首都圏を中心に県外で 企業誘致活動や広報活動を実施していた。情報通 信関連産業では、コールセンター、データセン ター、ソフトウェア開発、コンテンツ産業に重点 を置いた誘致活動が活発であった。当社も沖縄県 と沖縄IT津梁パークの広報とニアショア開発の 認知とオフショア開発の相違点で営業活動を展開 し、沖縄県主催の企業誘致セミナーや情報通信関 連企業の沖縄進出を促すための事業者向け説明会 6 (株)沖縄ソフトウェアセンター変革期の概況 ニアショア構築期、組込・検証業務黎明期 2008年10月〜2012年3月 ♦沖縄IT津梁パークの中核企業 ♦株主との協業明記 ※会社組織の再構築 ※株主との協業再構築 ※営業体制の再構築 ※事業の柱の再構築 ※第1回中期目標策定 ・トップ営業 ・リーマンショックで既往顧客半減 (開発案件凍結・延期) などに積極的に参加した。 持ち帰り開発を前提とした要員派遣を主として 営業していたが、要員の稼働率の向上と売上の貢 献を目的に要員を派遣した。 派遣先からは安価での派遣依頼を受け、滞在経 費を抑えるため相部屋で宿泊させるなど苦渋の決 断を強いられることになった。また、新規事業に 向けて沖縄県などの補助金を活用したIT人材育成 事業では、IT株主とコンソーシアムを組成して20 名弱のテスト検証人材育成を行ったが、不況の影 響と実績の無さから業務受注に至るまでの2年程 は売上が皆無の経費先行状態が続いた。品質確保 では、会社案内に「世界水準のソフトウェア開発」 を掲げていたことからCMMiレベル3の達成に向 けて沖縄県の補助を受けながら取り組んだ。目的 はニアショア開発の受注業務プロセス開発と仕 組みづくりを「見える化」することをお客さまへ PR・提案することである。具体的には沖縄に持ち 帰る際にお客さまとの役割分担や作業見積もりを 明確化してプロジェクト計画書に基づく、タスク、 スケジュール、課題問題、Q&Aなどを可視化した。 約3年間のプロセス開発とプロジェクトへの適用・ 改修を繰り返して2011年11月にレベル3に達した ことを認証された。また、プロジェクトマネジメ ントの人材を育成することにも取り組んだ。 開発環境では、2009年6月に沖縄IT津梁パーク A棟が竣工して当社も中核企業認定を受けて入居 することに決定した。同年9月に沖縄IT津梁パー ク開発センター(支店)を設置して組込系開発を担 う事業開発部が先行して沖縄IT津梁パークに移 転した。10月からは営業部と業務系開発を担うシ ステム開発部が沖縄IT津梁パーク開発センター に移転して本社には役員と企画管理部が残ること になった。その後、2010年9月には沖縄IT津梁パー ク開発センター B棟落成に伴い沖縄IT津梁パー ク開発センター A棟2階全室、B棟4階にプロジェ クト室を拡張して、受注拡大や沖縄テクノス(株) との協業体制の事務所を確保した。 沖縄IT津梁パーク開発センターでの高セキュ リティーな開発室を入手した機会に、今まで進め てきた持ち帰り開発から一歩ステージアップした システム維持・改善・保守業務であるエンハンス 業務の受託に向けた取り組みを開始した。同業務 はハードルが高いが経営上、ストックのビジネス であり付加価値の高い安定した業務で沖縄IT津 梁パーク構想の目指す事業形態でもあった。野村 総研の推奨する「エンハンス」に遠隔地の地方で もリモートでシステム維持・改善・保守の業務が 可能なる「リモートエンハンス」と造語して第一 生命情報システム(株)からの強力なバックアップ をいただきながら推進体制を強化した。 【経営課題と対策】 沖縄ソフトウェア・オフショアコア会社事業計 画では初年度の売上高6億円の計画であったが、前 述したリーマンショックの影響でFo21からの引継 ぎ業務の売上は半減、中央省庁業務の売上はゼロ で、組込関連の新規事業もゼロと売上高は約1.6 ・2次、3次の要員派遣 (低単価でも稼働率確保) ・自社技術者育成 ・社員と株主・BP技術者を抱合派遣 ・ 余剰要員でも県内受注不可で稼働 率低下 ・売上は半減、固定費増 ・累損が膨らむ ・文鎮型組織 [ニアショア構築期、組込・検証業務黎明期] 64 65 20 第2章 各部・委員会・ BP紹介 第3章 今後の事業展望 資料編 ご挨拶・祝辞 第1章 年の歩み

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