株式会社沖縄ソフトウェアセンター 20周年記念誌

The 20-Year History of OSC 佐和田さん まず始めにFo21からOSC へ商号変更となった際に大 きく変わったことは、沖縄県、 沖縄金融公庫、各団体県内 企業などのオール沖縄体制 で取り組みができたことかと思います。20年経過し 若年者雇用の促進については、一定の成果を上げ ています。今後は、上流工程から受託することや 新しいソリューションを提供できることを期待し ています。そのためにはリスクを取って取り組ん で欲しいです。 与那嶺さん OSCは20周年を迎え、南郷さんや饒 平名さんが尽力してきたことで現在に至ると思い ます。20年経過すると時代も変わり沖縄IT津梁 パークのコア会社としての役割の変化や新しい技 術(DXなど)が出てきているので変化に対応した将 来計画を立ててさらなる発展をして欲しいです。 新しいことに挑戦する希望に満ちた会社を目指し て欲しいです。 當銘さん 2006年当時、株式会社りゅ うせきIT事業部取締役を担 当し、グループの販売会計 システムなどの開発保守運 用や社外からのシステム受 託開発を行い、IT関連投資はグループ内のみに 限定され、コア事業の石油販売に投資を向ける経 営を行なっておりました。その時期に沖縄県から OSCへの投資依頼があり経営陣で検討を重ね投 資を決定しました。その後、弊社へ社外取締役の 依頼があり担当役員の私が2008年からOSC社外 取締役および社外監査役として計8年担当しまし たが、就任直後の2008年にリーマンショックで大 打撃を受け、計画通りの受注に届かず大変厳しい 状況となり、経理担当責任者から財務的な相談を 受け、資金繰りを乗り越えることでギリギリの経 営状況が続いておりました。その後は積極的な営 業活動により受注も増えそれに伴い大きく財務状 況も改善され、安定した経営を築いており役職員 には敬意を表する次第です。今後は現在の事業基 盤をさらに強化拡大するために沖縄科学技術大学 院大学や県外大手企業との提携や高度な企画提案 型IT技術者を育成できる組織を構築し県外海外 で飛躍し沖縄を代表する企業へ成長することを期 待しております。 佐和田さん リーマンショックの後の経営状況は 苦戦したが、AIU損保を受注した頃からは業績も 回復して経営も大分良くなっていきましたね。 小嶺さん 私のお願いはただ一つ、巨大企業へ成 長して欲しいです。 沖縄では芸能界やスポーツ界は、日本を代表す る人物は出てきていますが、日本を代表する企業 は出てきていないと感じています。OSCは日本を 代表する企業になるべきだと思っています。 南郷さん 沖縄ソフトウェアセンターの設立当時 は、平井政務官から中央省庁の仕事がベンダー のみへ流れている状況であり、地方分散が必要で あるとお話がありました。沖縄で受託することを 試みましたが、上流工程ができる人材が少なかっ たことや、饒平名さんからもお話があった通りセ キュリティツールや開発プロセスなどが使用でき なかったため実現に至りませんでした。今後は会 社として利益を上げることはもちろん重要であり 小嶺さん 残りの在任期間で沖縄IT津梁パーク を完成させる必要があったことと、既に更地済み のため建物の着手がすぐに可能な中城新港湾地区 に決定しました。今日の沖縄IT津梁パークの整 備状況を見ると、20ヘクタール中13ヘクタールを 稼働させることができており、うるま市の中城新 港湾地区に決定して良かったと考えております。 南郷さん 沖縄科学技術大学院大学と沖縄IT津 梁パークはもっと県外へPRしていくべきかと思 います。 饒平名さん 沖縄IT津梁パーク設置当時は、リー マンショック後で沖縄IT津梁パークの建築に否 定的な意見もありましたが、尖閣諸島問題からオ フショア開発の国内回帰が始まり、コロナ禍前の 期間まで県外企業や外郭団体は、沖縄IT津梁パー ク、沖縄データセンター、沖縄科学技術大学院大 学の訪問ツアーを組んでたくさんの企業が視察に 来ていました。 司会 続いて、【沖縄ソフトウェア・オフショア コアセンターの方向性と設置当時の状況につい て】ということで「OSC社員とビジネスパート ナーの割合(3:7)はなぜそうなったのか」お話を 伺いたいと思います。 Theme3 沖縄ソフトウェア・オフショアコアセンター の方向性と設置当時の状況について 司会 OSC社員とビジネスパートナーの割合 (3:7)はなぜそうなったのかについて饒平名さん、 佐和田さんお話しをお願いします。 饒平名さん 沖縄県、IT連 等で構成された「沖縄ソフ トウェア・オフショアコア センター会社(仮称)検討委 員会」のワーキング委員会 で要員の構成割合を議論し ました。沖縄ソフトウェア・オフショアコアセン ターとしては、社員4割、ビジネスパートナー 6 割でないと会社運営が困難であると提案しました が、他の団体からは社員2割、ビジネスパートナー 8割とするべきだという意見があり真っ向から対 立しました。事務局を担うフロム沖縄の川上事務 局長が折衷案を出して社員3割とビジネスパート ナー 7割に決定して事業計画書を作成しました。 佐和田さん (当時、(株)沖縄電脳専務取締役兼 Fo21非常勤取締役) 設立当初から当社の取締役会に参加しています が、要員の構成割合について取締役会の審議事項 に挙がったことはないと思いますが。 饒平名さん 要員の構成割合は事業計画書で決定 したため報告事項として挙げています。 Theme4 (株)沖縄ソフトウェアセンターの経営について 司会 最後に、なぜ「沖縄ソフトウェア・オフショ アコアセンターの構想と会社経営での乖離はあっ たのか」、「沖縄IT津梁パークの中核企業として OSCにどのような期待をしていたか」、「今のOSC を見てどのように思うか、提案と意見が欲しい(将 来の展望)」の3つについて全員からお話しをお願 いします。 60 61 20 第2章 各部・委員会・ BP紹介 第3章 今後の事業展望 資料編 ご挨拶・祝辞 第1章 年の歩み

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