株式会社沖縄ソフトウェアセンター 20周年記念誌

The 20-Year History of OSC パークを視察した際の写真に基づいてパーク構想 資料を作成し、沖縄県の「新・沖縄情報通信産業 振興のためのプロジェクト」へ提案してIT集積 のパーク構想を提案していただきました。そこに 玉城理さんがBPOセンターと人材育成センター を追加して「沖縄イノベーションセンター」とし て提案しました。 玉城さん 平井プロジェクトが進められる中で、 IT産業・企業の集積拠点の整備が注目される中国 への産業視察団の一員として参加しましたが、そ の時点から経済成長の著しい中国のIT特区として 上海や蘇州、杭州に整備されている当該施設の規 模の大きさや機能の充実に驚きを禁じえませんで した。視察団としては中国の拠点整備の実態に圧 倒されながらも、沖縄では身の丈にあった整備か ら進め、可能な機能を取り入れ拡大発展させるべ きと口々に意識合わせをしていた記憶があります。 饒平名さん その後、都道府県会館で稲嶺沖縄県 知事と小池百合子沖縄担当大臣を迎えて平井卓也 政務官を中心とした発表会で、平井政務官から沖 縄ITイノベーションパークの名称について「イ ノベーションという名称はどこにでもある。沖縄 らしく『沖縄IT津梁パーク』と名前を変えてIT で日本とアジアの架け橋になる拠点にしてはど うか」との提案がなされて『沖縄IT津梁パーク』 となりました。 南郷さん 私はFo21の3代目代表取 締役社長(OSCの初代社長) を務めておりました。2005年 に中国上海地域(蘇州など) のITパーク構想を視察して衝撃を受けたことを覚 えています。集積施設を構築すれば仕事はいくら でも取れるし、パークの機能(シリコンバレーの ように交流する場)を作りたいと考えておりまし た。札幌テクノパーク、福岡など他の集積施設を 訪問しましたが、パークの機能がなくソフトウェ ア開発企業の集積施設に過ぎませんでした。そん なこともあり沖縄にパーク機能のある集積施設 を構築しようという思いが強くなりました。沖 縄IT津梁パークができ今日があるのは、国、県、 民間が連携したからではないかと。つまり「オー ル沖縄体制」、これが沖縄の凄さであると実感し ております。 司会 続いてうるま市に設置した理由や他の候補 地などの背景と思いを小嶺さん、与那嶺さん、南 郷さん、饒平名さんお話をお願いします。 小嶺さん 当初は、那覇軍港内の特別自由貿易地 区、豊崎、豊見城団地後など那覇空港近郊に沖縄 IT津梁パークを設置することを検討していまし た。しかし、沖縄県で作成した中城新港湾地区の 活用方法に苦戦していましたが、結果的には20ヘ クタールも確保できて良かったと思いますね。 与那嶺さん 当時(、株)オー シーシー常務取締役兼Fo21 非常勤取締役 那覇空港近郊以外の候補 として、高速道インターの 沖縄北に近いうるま市兼箇 段という地域も県内企業から挙がっていました。 検討した結果、面積が小さいため見送ったという 経緯もありました。 ジェクトを当方の中核的な活動と位置付けた施策 として展開することとなりました。個人的にはこ れにコミットできることを喜び歓迎するところ でした。具体的には、従前より課題とされていた ソフト開発において、収益性の高い上流工程から 受託環境の整備となるセキュアで共同作業が可能 な基盤構築と今でいう、クラウド技術の端緒とな るサーバー共有技術の開発を実現する予算約6億 円を投じた事業を実施しました。これには当然の ことながら沖縄県の小嶺班長と連携を前提としつ つ、沖縄県が施設などの集積拠点の整備に繋がる 基本方針を踏まえた運用条件などのハード面を担 当し、当方は共同受注体制の整備となるソフト面 を担当することで県と国との連携体制を構築し取 り組んでいました。 本日、ここにお集まりの方々とはこのことが きっかけで業界関係者としてお付き合いが始まっ た経緯があります。 饒平名さん 私は当時、(株)リウコム常務取締役 兼Fo21非常勤取締役を務めていました。平井プ ロジェクトとの関わりは、平井政務官の懇談会会 場で平井政務官と直接話をし、勉強会に参加する ように促され米須企業誘致対策監と2人で東京の 勉強会に4回ほど参加したのが始まりでした。東 京側と沖縄側の提案を受け、中央省庁の仕事を受 託するため、また、県外ではなく県内で全て受託 するために沖縄で活用できるトラステッドネット ワークツールやニアショア開発プロセスを構築す る計画で進めていましたが、実証事業は東京側が 中心になって構築することとなり、作成したツー ルはその後沖縄で使用しませんでした。平井プロ ジェクトに参加し進めていく過程では、①ITイ ノベーションパーク、②沖縄ソフトウェア・オフ ショアコアセンター会社、③IT人材育成の3つの 取組を重点的に進めていきました。 なお、その際に中央省庁の人事・給与システム を沖縄側に誘致するために、総務省や経済産業省 へ頻繁に出かけて係長クラスと議論しました。そ の後、その方々が課長や審議官クラスになって中 央省庁への人脈が広がりました。 司会 沖縄側を中心として作成することができな かったツールは、使用しなかったとのことですが、 その後どのように対応したのでしょうか。 饒平名さん OSCは、中核企業になってから沖 縄県の支援でセキュリティのPマークと品質管理 のCMMIレベル3をニアショア開発向けにカスタ マイズしたプロセスONDePを作成しました。あ の当時に使用できるようなツールができていれば OSCの商号変更時の状況も変わっていたのでは ないかと思います。 司会 続いて、【沖縄IT津梁パーク構想について】 ということで「なぜ沖縄IT津梁パークと命名さ れたのか」や「うるま市に設置した理由や他の候 補地などの背景と思い」など当時のお話を伺いた いと思います。 Theme2 沖縄IT津梁パーク構想について 司会 なぜ沖縄IT津梁パークと命名されたのか について饒平名さん、玉城さん、南郷さんお話し をお願いします。 饒平名さん 2005年に中国のIT視察で上海IT 58 59 20 第2章 各部・委員会・ BP紹介 第3章 今後の事業展望 資料編 ご挨拶・祝辞 第1章 年の歩み

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