株式会社沖縄ソフトウェアセンター 20周年記念誌

The 20-Year History of OSC History る必要があり琉球銀行OB1名を総務部長として採 用して商法に基づく最低限の規則・規程の制定、 財務システムや給与システムの構築を手がけたが 退職、引き続き採用した沖縄信用金庫OBも含め 短期間で2名退職し、組織体制づくりでも苦慮した。 会社設立当時の取締役会は全取締役が会社設立 発起人会のメンバーで構成されていたが、取締役 会での決議事項や連絡事項が少なく2〜3カ月に1 度程度の開催であった。但し、プロジェクトの受 注に向けた取り組みや見積もりの検討、技術支援 に向けて毎週月曜日の夕方から渡名喜社長を中心 に(株)アドバンテック:又吉氏、(株)沖縄電脳: 佐和田氏、(株)創和ビジネス・マシンズ:稲嶺氏、 (株)リウコム:饒平名氏が参加してプロジェクト の運営支援を行った。設立翌年(2003年)5月開催 の定時株主総会ではIT株主の役員は実務支援を 目指して渡名喜社長以外全て若手に交代し、2004 年6月開催の定時株主総会には新たに株主となっ た(株)琉球ネットワークサービスの上原氏が非常 勤取締役として経営に加わった。 【事業収支】 会計年度を4月から翌年の3月としたため、初 年度の半年間は売上総額24.7百万円に対して経費 が41.0百万円と多く当期純利益は16.4百万円の赤 字であった。2年目も売上総額56.6百万円に対し て経費が81.3百万円で当期純利益は24.9百万円と2 年連続の赤字で累損は41.3百万円まで膨らんでい た。売上を伸ばし、受注実績を出すために手始め に県内からの業務受注を進めて逐次県外への営業 を強化することにした。経費では、役員全員が非 常勤・無報酬とした。また、退職した総務部長の 後任は置かず、経理などの決済が必要な場合は、 (株)アドバンテックの又吉常務が行うことにして 一般管理費を極力抑えることで収支の改善を行い 赤字の圧縮に努めた。 【主な業務実績】 設立当初は、社員、中途社員も皆無で、渡名喜 社長が懇意にしていた(株)メディアトランスポー トから技術者を受け入れて東京の企業に派遣する ことで売上に貢献した。県内でのプロジェクト の支援には、(株)アドバンテックとの共同開発や (株)沖縄電脳への要員派遣で売上に貢献した。 ・ 県外SIerへ401Kシステム開発・保守で要員派 遣、建設工業の基幹システム基本設計への要 員派遣 ・ (株)沖縄電脳にクレジットシステム開発を要 員派遣 ・沖 縄県の主要企業がコンソーシアムで受注した 沖縄県の財務会計システム案件の開発室貸与 ・ (株)アドバンテックが受注したNQS/NQS-JM のLinux移植開発とABAPを共同で開発 【時代背景】 経済産業省は、ITSSやUISSなどの施策を立て て上流工程領域を担う「高度IT人材」の育成を 推進した。これは、IT企業でも良い提案をして受 注することにより、受注後のSI案件で充分な成果 を出すことで企業利益の拡大に繋げることが求め られ、かつ我が国の課題としてIT業界では約40万 人の人材不足が叫ばれた時期であった。下流工程 人材の確保と利益確保のためのオフショア開発が 台頭してきた状況もその背景なるものであった。 沖縄県でも特定非営利活動法人フロム沖縄推進 機構を中心に産官学連携でIT人材ピラミッド構 想を打ち立て、IT人材の育成・確保の取り組みを 進める一方で、沖縄総合事務局との連携による組 込系ITビジネスの拡大に資する人材育成施策を 展開するなど、官民が一体化した付加価値の高い 新たなソフトウェア業の発展を目指していた。関 連して、沖縄県ではマルチメディアアイランド構 想の実現に向けて、第1次と2次の情報通信産業振 興計画で3年ごとの数値目標を立て、企業誘致や 売上額、就業者数などの達成に向けてさまざまな 施策と対策を立てていた。この一環として沖縄県 はもとより関係省庁において公的予算を投入して 市町村におけるIT施設の整備に伴う企業誘致を 進め、このインセンティブとなる本土との通信費 の補助、IT人材育成支援などに注力していた。さ らに、沖縄県の東京事務所を中心に首都圏のユー ザーに対する沖縄県のIT施策のPRや沖縄県側企 業とのビジネスマッチングの場を提供するなど首 都圏からの誘致活動も積極的に実施された。これ に連動した県内のIT業界の動きとしては、北海 道のIT企業数社との共同受注を前提とした「国 内オフショア」として首都圏営業を行う際に、「安 かろう悪かろう」との認識を排除すべく国内地方 間協業を「ニアショア」と称することでオフショ アと区別し、付加価値の高い開発業務のイメージ 化を狙いつつPRしたところである。このような 経緯もありニアショアが業界用語として定着した ことも一例として強調したい。 なお、当時のIT技術はY2K対策後のクライア ント/サーバーなどのオープンシステムに移行し つつあったが、情報漏洩対策と集中管理目的のシ ンクライアントの流れに向けて動いており、その 中でもリッチクライアントという新たな試みが出 始めていた。その代表がBiz/Browserというツー ルであった。それをFo21の主力技術と位置づけ、 Biz/Browserのメーカーである(株)アクシスソフ トへアプローチを強化したことも時代背景として 言及したい。 3 (株)フロンティアオキナワ21の国内ニアショア初期の概況 開拓期 2004年4月〜2008年9月 [開拓期] ♦国内オフショア認知 ♦自社技術者育成 ♦単年度黒字化 ・組織の初期形成確立 ・トップ営業 ・BP要員を派遣 ・自社技術者確保・育成 ・株主技術者と協業して受注拡大 ・実績が出来、取引先増 ・主要取引先の拡大 ・余剰要員は県内IT株主へ要員支援 30 31 20 第2章 各部・委員会・ BP紹介 第3章 今後の事業展望 資料編 ご挨拶・祝辞 第1章 年の歩み

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